〔原文-01〕 昔、我が朝、日本国大和国長谷寺*1) の程近く、やごとなき
上人
まします。
止観窓(
*2) の中には、一念三千の観をこたりなく、
五相成身(
*3) の床のうへ、
□□(
加持の
薫修(
年深く、仏法修行、功をつむ。その
齢(
六十有余なり。
しかりといへども、現世心安く給仕をいたし、仏法の跡を継ぎて、
後生(
菩提の徳果を祈るべき一人の弟子なかりけり。
倩(
、過去の宿善のつたなき事をなげいて、長谷寺の観音に三年のあひだ、
月詣(
をくはだつ。
「現世に心安く給仕し、後生は仏法の跡を継がしめむしかるべき弟子一人さづけたまへ」 と祈祷す。
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〔訳-01〕 昔、大和国は長谷寺のほど近くに、尊い上人様がいらっしゃいました。瞑想を深め、修行を重ね、功徳を積んで来られたそのお方は、御歳六十余りになっておいででした。
けれども、打ち解けてお傍近くにお世話をし、仏跡を継いで菩提をお祈り申し上げる弟子の一人も、お持ちでは御座いませんでした。上人様は御自身の徳のつたなさをつくづくお嘆きになって、長谷寺の観音様へ三年の間月ごとにお詣りになり、
「現世では心安く給仕し、後世は仏法の跡を継がせるに相応しい弟子を、一人授け給え」 とご祈祷なさったのでした。
〔注-01〕
*1)長谷寺…現在の奈良県桜井市初瀬(はせ)にある真言宗豊山派の総本山。鎌倉の長谷観音(新長谷寺)と区別して本長谷寺という。
*2)止観…雑念を止め、観想すること。天台宗における瞑想行の方法。
*3)五相成身…観法により五つの段階を経て、悟りを開き仏の身と成ること。
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■ひたすら仏法の道を邁進してきた高僧にとっても、やはり老後は悩ましいものなのだった。
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〔原文-02〕 既に三年に満ずれども、其の勝利*1) 一もなし。
観音をうらみながら、又かさねて三月のあひだまいりけり。すでに三年三月に満じけれども、更に
御示現(
なし。其の時に彼の上人、我が身の宿業をうらみて、
「
抑(
*2) 、
大聖観自在尊(
*3) は極楽浄土の
儲(
*4) の君、
普陀落世界(
*5) の主也。
大悲闡提(
*6) の悲願、これふかし。されば、平等一子の誓願を、我が身一人にをいて
偏頗(
*7)
御坐(
じ。月は万水
撰(
ばず照らせども、濁れる水に影を浮かべず。観音大悲の月輪は清明なりといへども、
衆生(
の濁れる心水に影を宿し給はず。ちからをよばず、我が身の
罪障(
の雲の晴れざるのみこそ悲しけれども。」
|
〔訳-02〕 さて、時は既に三年三月に満ちましたが、上人様の本願が叶う事はありませんでした。上人様はまた御身の宿業をお恨みになって、こう仰いました。
「ああ、大聖観自在尊は極楽浄土の儲君にして、普陀落世界の主であらせられる。無限の慈悲による救世の御誓願はどこまでも深いのだ。それゆえに、平等なる御誓願を拙僧ひとり分け隔てなさるなどと云うこともありはせぬ。月は水を選ばず照らすが、濁った水には影を浮かべぬ。観音大悲の月光は清らであっても、我ら衆生の濁った心の水に影を宿しはせぬであろう。力及ばず、我が身を覆う罪障の雲が晴れぬことだけが、ただ悲しくてたまらないが。」
〔注-02〕
*1)勝利…この場合は、仏のもたらす優れた利益を云う。
*2)抑(そも)…(文章の冒頭に使う語)そもそも。いったい。それにしても、それというのも。
*3)大聖観自在尊…観音さまの尊称のひとつ。
*4)儲の君…王太子のこと。儲君、もうけぎみ。
*5)普陀落世界…遙か南海にあるという観世音菩薩の住む世界。補陀落とも書く。チベット・ラサのポタラ宮も同義。
*6)大悲闡提…闡提とは、解脱成仏に至ることが出来ず六道輪廻を巡り続ける者たちのこと。観世音は大いなる慈悲をもって、自らは敢えて成仏せず、菩薩の身に留まって衆生を救い続ける誓いを立てた(大悲闡提の誓願)。
*7)偏頗…かたよること。不公平、えこひいき。この場合は「自分(上人)だけがえこひいきをされる訳はないのだから、願いが叶わなかったのは私が罪深いせいだろう」ということ。
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■三年頑張ったけど成果無し。思わず観音様に泣き言を言う。ああきっと前世の宿業なのねと泣き濡れる上人様だった。
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〔原文-03〕 其暁、
泣ゝ(
家ぢへ下向するあひだ、
尾臥(
の山と申すふもとをすぐる程に、十三、四
許(
なる
少人(
*1) の、月の見せ、花の
粧(
まことに厳しく、むらさきの小袖に、
白練貫(
*2) をゝりかさねて、
朽葉染(
*3) の袴の優なるに、
漢竹(
の横笛心すごく吹き鳴らし、竹なる
簪(
し、もとゆいをしすべらかして、
比(
は八月十八日*4) の曙がた、露にしほたれたる
気色(
にみえて、春の柳の風に乱れたるよりも、なをたをやかに見給へり。
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〔訳-03〕 そうしてその明け方に、泣く泣く家路を御下向なさいました。その途中、尾臥という山の麓を過ぎた辺りで、年の頃は十三、四の童子が、月光の下に照らされて、花のような顔を凛と引き締め、漢竹の横笛を、心に迫る調子で吹き鳴らしておりました。紫の小袖に白絹の衣を重ね着て、朽葉染めの袴も優美に、竹の簪を挿し、元結で結った後ろ髪をすべらかに流した姿は、八月終わりの曙の露に濡れしおれるようで、春の柳が風に乱れる様よりも、尚たおやかに見えたのでした。
〔注-03〕
*1)少人…小人。少年、こども。
*2)練貫…生糸を経糸(たていと)、練糸を緯糸(よこいと)として織った絹織物。
*3)朽葉染…■■こんな色。
*4)八月十八日…仲秋の明月の日である。
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■月下の美貌は威光さえ湛えている。稚児ぎみの美貌の表現はやはり稚児物語のキモである。
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〔原文-04〕
かの上人、これをみて、更にうつゝともおぼえず、魔縁*1) のへむずるかと思けれども、ちかくたちよりて、少人にとひたてまつるやう、
「抑、いまだ夜のふかく
候(
に、かゝる山野に只一人たゝずみ
御坐(
御事、たゞごとならずおぼえ候。いかなる人にて御坐し候ぞ」
と申に、少人答ていはく、
「
童(
はこれ、東大寺の辺に候しが、
聊(
、此程、師匠をうらみたてまつりて、夜をこめて足にまかせて、
罷出(
で候なり。 抑、君は
何(
なるところに御坐候ぞ。
且(
は、僧徒の情はさる事にてこそ候へ、あはれ、ぐし連れ御坐て、
中童子(
*2) にも
召仕(
せ給ひ候へかし、たのみたてまつらばや」
と申されければ、かの僧悦びて申す様、
「定めて子細御坐らむ。是非の子細をば、暫く
閣(
て、やがて御共申すべし」
とて、我が宿坊*3) へ相具したてまつりて下向しけり。
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〔訳-04〕
上人様はこれを御覧になって、うつつの事とも思われず、魔性の変じたものかとも訝られましたが、近くへ歩み寄られ、童子へこのように問い質されました。
「もし。いまだ夜も深いというのに、このような山野にひとり佇んで居られるとは、只事ではないようだが、こなた様は一体どのようなお方であろうか」
すると童子が答えて申します。
「わたくしは東大寺の方へお仕えしていた者ですが、このたび、いささか師をお恨み申し上げることがあり、夜陰に紛れて足の向くままに出奔して参ったのです。さても、御坊こそ、何故このような処にいらっしゃるのでしょう。──僧徒の情けとはこのこと、どうか私をお連れになり、侍童としてでもお召し頂けませんでしょうか。お頼み申し上げます」
この言葉に、上人様はお喜びになって、
「どうやら、仔細がお有りらしい。細かな詮議は今はすまいよ、さあ、このまま拙僧と共に参ろう」
と、ご自身の宿坊へ童子をお連れになりました。
〔注-04〕
*1)魔縁…魔物が仏法の妨げをなし人を迷わせること。
*2)中童子…寺に仕える侍童(じどう)、稚児。稚児の中でも身分や序列の高い者は上童子、低い者は中童子となる。
*3)宿坊…寺院内の僧侶が生活する場所。また、参詣客の宿泊所。
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■まさに拾いもの。しかもあちらから連れてってくれとは…上人様、もはや据え膳気分だったことだろう。
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〔原文-05〕
僧なのめならず*1) 悦びて、明し暮しけれども、彼の少人のゆくへを尋ぬる人もなし。上人の心にたがふ事、更に侍らず、
詩哥管絃(
にもならびなし。
偏(
に観音の
利生(
*2) とのみ悦びて、年月ををくりけるほどに、三年と申す春の暮に、
俄(
にかの少人
病悩(
をうけ
御坐(
けり。
四大(
*3) 日ゝに衰えて、万死一生*4) に成りし時、彼の少人、上人の膝を枕にし、手に手をとりくみ、顔にかほをあはせて、互ひに別れを惜しみ給ひけるに、遺言実に哀れに
覚(
ゆ。
|
〔訳-05〕
それからというもの、上人様はひとかたならぬお喜びの内に日々をお過ごしになられました。稚児君の行方を尋ねてくる者はありませんでした。稚児君は、すべてが上人様のお望みの通りであるだけでなく、詩歌管弦にも並ぶ者無く優れておりましたから、上人様は、これもひとえに観音菩薩のお恵みよと大層感激しておいででした。
年月が去りゆき、三年目となった春の暮れのことでした。突然、稚児君の身に病苦が襲いかかったのです。体も次第に衰えて、万が一にも助からぬというほど重篤になり、稚児君は上人様のお膝を枕にして、手に手を取り、頬を寄せ合って互いに別れを惜しみます。その遺言はあまりにも悲痛なものでした。
〔注-05〕
*1)なのめならず…(斜めならず)一通りでない。格別である。
*2)利生…仏が衆生に与える利益。
*3)四大…四大(地水火風の四元素)からなる人の身体。
*4)万死一生この場合、九死に一生を得るの意ではなく、命の危ういところを辛うじて生きていること。瀕死状態。
|
■理想の稚児を得て上人様は浮かれまくっていたが、幸せは三年で終わりを告げる。三年とは云うまでもなく、上人が月詣を行った期間と等しい。おまけはナシだ。
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〔原文-06〕
「抑、此の三年が程、慈悲の
室(
の内に日をくらし、
忍辱(
のふすま*1) の下に夜を明かし、朝夕に悲訓をうけし事、
何(
の生にか忘れむ。
設(
、
老少不定(
*2) の習ひなりとも、我が身ながらへて、御身先立ち給はゞ、没後の
御孝養(
をも、我が身いきて申さばやとこそ思候つれ。思ひ空しく
相違( ひして、先立ちたてまつる事のみこそ、かなしけれ。“師匠は
三世(
の契り*3) ”と申せば、後世には又あひたてまつらむ。
抑、我が身息絶へ、たましひ去りなば、龍門*4) の土に埋まず、野外の煙ともなさずして、棺の内に収めて、持仏堂に置きて、
五七日(
*5) を過ぎてあけてみるべし」
といひもはてず息絶ぬ。魂去りて空しく
北芒(
*6) の露と消へ給へり。
|
〔訳-06〕
「ああ、この三年の間、上人様の御慈悲に包まれて日を暮らし、手厚い御守護のもとに夜を明かして、朝夕に尊いお言葉をお受けした事は、幾度生まれ変わったとて忘れは致しません。
死は老若に関わりなく訪れるものと知りつつも、もしこの身が長らえ御身が先立たれた時は、後の御供養もみなわたくしがたてまつりたいと、心に決めて居りましたものを──空しく思いを違えてお先に参らねばなりませぬ、それがただただ哀しゅうございます。
けれども、『師弟は三世の契り』と申しますから、来世ではきっと又お逢い出来ましょう。
…私が息絶えて、魂が去ったならば、屍は土に埋めず、燃やさずに、棺に収めて持仏堂に置き、五七日が過ぎてから開けて御覧になって下さいませ」
稚児君は、そう言い終わらぬ内に息絶えてしまいます。その魂はむなしく墓場の露と消えてしまったのでした。
〔注-06〕
*1)忍辱のふすま…忍辱とは、屈辱を忍び恨みをもたぬこと。この心があらゆる障害から身を守ることを、袈裟に喩えて『忍辱の袈裟(または衣)』という。衾(ふすま)とは今で云う布団のことだが、ここでは前句の『慈悲の室』と対応させて衾としたものか、あるいは、寝具に含みを持たせているのか。
*2)老少不定…死は年齢にかかわらずやってくるもの、定まらないものだということ。
*3)三世の契り…前世・現世・来世にわたり繋がれた縁。主従関係。何故か夫婦の契りは二世(にせ)である。
*4)龍門…中国洛陽の南、龍門は石窟寺院で著名。山門あるいは墓場の意。
*5)五七日…人の死から三十五日目。追善法要を行う。
*6)北芒…中国洛陽の北東、北芒山(正しくは北『亡+おおざと偏』山)は墓地として名高いことから、墓場の意。
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■老後だけでなく亡くなった後のお世話もすべてして差し上げたかったのに、先立つ不幸をお許し下さい…稚児ぎみの悲痛な遺言は意外な言葉で終わる。
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〔原文-07〕
其の時、上人の心中、せむかたなし。鳥は死すとては、其の声やはらかに、人は別るとては、その
詞(
哀れなり。さらぬだに、詞だにも遺言と思はば哀れに、来し方行く末の事かきくどき申されけるに、いとゞ哀も切なり。
愛別離苦(
*1) の悲は人ことなれども、此のなげきは、ためしすくなき事どもなり。
春の
朝(
に花をみる人、散別を悲しみ、秋の
暮(
に月を詠ずる客、陰る空を恨む。
凡(
、三年三月のあひだの長谷寺の参詣の
験(
とおぼえて、最愛たぐひなし。三年三月の程あひなれて、俄に別れて歎きしもことはりなり。
月にゝたりしおもかげ、
何(
の雲にか隠れし。花のごとくなりしよそをひ、いかなる風にかさそはれけむ。老少不定の涙の
衫(
*2) 、
何(
の時にか乾かむ。師弟別離の思ひ、何の日かやすまむ。
哀れなるかなや、老をゝひたるは留まり、幼なるは去る。青花のちり、紅葉のつれなきにたぐふ*3) 。本のしづく、末の露にあひにたり*4) 。
|
〔訳-07〕
その時の上人様の御心中は、堪え切れぬ哀しみに千々に乱れておいででした。
鳥が死ぬ時、その声は穏やかですが、人の別れにおいては、その言葉は哀しみに満ちています。そうでなくとも、ただの言葉でなく遺言であると思えば哀しく、稚児君が、来し方行く末の事をかき口説く様にしていた様子を思うにつけても、悲痛に胸が詰まります。
愛しい人との離別が苦しいことは皆同じですけれども、上人様の御嘆きは、他に類を見ないほどのものでした。春の朝に花を眺める人はその散りゆく様を惜しみ、秋の暮に月を詠む旅人は月が陰っていく空を恨むものです。およそ上人様は、三年三月の間の長谷寺への参詣の霊験と思し召し、稚児君へ類なき御寵愛を傾けていらっしゃいました。そのようにしてまた三年三月の間馴れ親しみ、突然に別れねばならなかったのですから、お嘆きになるのは自然な事でありましょう。
月にも似たあの面影はどの雲が隠したのでしょう。花の様な姿は、どのような風が連れ去ったのでしょう。老少不定の哀しみに濡れた衣は、いつか乾く時が来るのでしょうか。師弟別離の思いは、いつの日か静まることもあるのでしょうか。
なんと悲痛なことか、老いた者が留まり、幼き者は去ってしまったのです。それは露草だけが散り、紅葉は変わりなく残る様子に、また木の根の雫が消え、葉末の露ばかりが残る様に似ています。
〔注-07〕
*1)愛別離苦…愛する者と別れる悲しみ。八苦の一。
*2)衫…ひとえの衣。偏衫(へんさん)は僧衣のひとつ。
*3)青花のちり、紅葉のつれなきに〜…青花は露草か。瑞々しい花が散って、枯れ葉である紅葉が変わらず残っている様子に、若い者に先立たれる虚しさを仮託している。
*4)本のしづく、末の露に〜…根本の雫も葉末の露も、儚く消えてしまうことに変わりはなく、老いも若きもいずれは死ぬのだということ。『末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ』(新古今集哀傷757、僧正遍昭)
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■何に比べるべくもない悲痛、それも日頃の寵愛を思えば無理からぬ事であった。後を託そうとしていた大切な弟子を死なせてしまった上人の様子に、養子春洋を亡くした国文学者折口信夫が思い起こされる。
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〔原文-08〕
泣くなく、さてあるべきにあらねば、入棺す。遺言まかせて持仏堂に置きて、仏事をこたりなし。近里遠山の
大衆(
*1) 集ひて、今、此の“法花経”を一日の中に書きたてまつり供養して、彼の菩提に
廻向(
す。
供養の説法果てしかば、彼の上人思ひのあまりに、棺の蓋をひらきて見給へば、
栴檀沈水(
*2) の異香、
普(
く室内に薫ず。昔の
蘭麝(
*3) の粧を改めて、
金色(
の十一面観音と現ず。
青蓮(
の御眼*4) あざやかに、
丹果(
の
脣(
*5) 厳して、
咲(
を含み、
迦陵(
*6) の
御音(
をいたして上人に告げて云ふ、
「我、是、
人間(
*7) の物にはあらず。普陀落世界の主、大聖観自在尊と云ふ、我が身、是也。暫く
有縁(
の衆生を度せむがために、
初瀬山(
の
尾上(
の麓にすみ給へり。汝が多年の参詣懇切に思へば、我三十三応*8) の中には
童男(
の形を現じて、契りを二世にむすばしむ。
今七年といはむ秋八月十五日には、必ず汝が迎へに来たるべし。再会を極楽の
九品(
の
蓮臺(
*9) にこすべし」
とて、光を放ちて電光のごとく虚空に上り、紫雲の中に隠れ給ひき。
|
〔訳-08〕
涙に暮れながらも、成すべき事はなさらなければならぬので、上人様は稚児君の遺体を棺にお収めになりました。遺言の通り棺は持仏堂に安置され、仏事も怠りなく執り行われていきます。遠く近くの衆徒達が集まって、『法華経』をこの日の内に書写して納経供養し、稚児君の菩提を弔います。供養の説法が終わると、上人様は切ない思いの余りに、棺の蓋をお開きになりました。
するとたちまち白檀や沈香の芳しい香りが室内に溢れ、以前に薫っていた蘭麝の香が改まり、金色の十一面観音菩薩が御顕現なさったのでした。観音様は青蓮華の色の御眼も鮮やかに、丹い果実の様な唇へ厳かな微笑を含ませて、迦陵頻伽の如き妙なる御声で、上人様にお告げになりました。
「我は人の世のものにあらず。普陀落世界の主にして大聖観自在尊と云うは、我が身のことぞ。有縁の衆生を迷いから救わんが為に、かりそめに初瀬山の峰の麓に住まいして居た。汝の長年の参詣を懇切に思うたが故、我が三十三の化身のうち童男の姿を成して、二世の契りを結ばせたのだ。七年後の秋八月十五日には、必ず汝を迎えに参ろう。再会は極楽の九品の蓮臺にて成されようぞ」
そして菩薩は電光のごとく虚空へ上り、紫の雲の中にお隠れになられました。
〔注-08〕
*1)大衆…(だいしゅ)大勢の僧徒。
*2)栴檀沈水…栴檀は白檀、沈水は沈香のこと。共に香木。
*3)蘭麝…蘭の花や麝香のような芳香。※蘭奢侍(らんじゃたい)は、聖武天皇の御代に渡来した香の銘。正倉院蔵。
*4)青蓮の御眼…青蓮華(しょうれんげ)は仏の眼の喩え。
*5)丹果の脣…丹(あか)い果実のようなくちびる。
*6)迦陵…迦陵瀕伽(かりょうびんが)。極楽に住むという鳥で半人半鳥。その声は妙音、よく仏の声に喩えられる。舞楽に『迦陵頻』があり、これは童舞といって子供が舞う曲である。※舞楽『迦陵頻』についてのかんたん解説(Blog)
*7)人間…ニンゲンでなくジンカンと読む場合は、人の生きる世の中の意。巷間。
*8)三十三応…観音は衆生を救う為に三十三の姿に身を変えるという。童男観音はそのひとつ。
*9)九品の蓮臺…極楽浄土に咲く蓮の臺(うてな)。九つにランク分けがされており、極楽往生した者はそれぞれの功徳に応じた座につく。どこにでもヒエラルキーはあるな。
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■さすが観音様だけあって登場シーンにはスモーク…ならぬ薫煙妙香が立ち込める。うわおーと驚いているところにポロッとお迎え予告をされてしまった上人様だった。それもきっと観音様のお慈悲。
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〔原文-09〕
今、奈良の菩提院*1) の
兒観音(
、是なり。此の観音に契りをかけて参詣し、功を積む人、たぞに利益して、正しく童子の身を現じ給ふ。しかるに近里遠山の大衆集ひて、“法花大乗”を書写せしかば、
内証(
*2) の
功徳(
をあらはし、
忽(
に
生身(
*3) の躰を現じ
御坐(
。三世の諸仏の出世*4) の本懐とし給ふは、今、此の大聖観音自在尊の内証の御功徳なり。
|
〔訳-09〕
今、奈良の菩提院の児観音と申しますのは、この事に由来しているのです。この観音に願を掛けて参詣し、功を積む者には誰にでも御利益があり、童子の姿をお見せになられるのだと申します。また、広く衆徒が集い来て、『法華大乗』を書写致せば、御功徳によってたちまち生身のお体を具現なさるでしょう。三世の諸々の仏が出世の本懐となさっておいでのことが、まさにこの大聖観音自在尊の内証の御功徳によって成されるのです。
〔注-09〕
*1)菩提院…興福寺の東南にある別院。天平年間に玄ボウ(日+方)により創建されたと伝えられる。平安中期には空也上人が住んでいたこともある。
*2)内証…心で真理を悟ること。内心の悟り。本心、本意の意もある。
*3)生身…(しょうじん)仏菩薩が衆生を救う為に人の子として生まれ出でた、その体。また、神通力により具現化した肉体。
*4)出世…諸仏が衆生を救う為にこの世界に現れること。
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■この辺りのくだりは縁起文のお約束ですな。
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